SNS活用でビジネス効率化

石之美圭 オフィシャルブログ

プロフィール


成功したいと言いながら
【確実な一歩】を
踏み出せないでいた自分。

 

情報集めと言いながら
こっちにフラフラ
あっちにフラフラ

『で、結局何がしたいの?』

そこで自分に問いただす。

『ねー
本当に成功する気あんの?』

『他人よりもずば抜けたいって
本気で思ってんの?』

ちょっと前まで、
私はこんな自問自答を繰り返しながら
彷徨い続けました。

 

 

色んな方の話を聞きに行っては
魅力を感じながらも

本気で取り組む
【確実な一歩】を踏み出せず。

『なんだか、違う気がする、、、。』

と、自分を正当化。
逃げ続けていました。

 

 

 

《 変わるためには行動すること
頭じゃなくて心で感じる 》

この言葉は、私の原点となる言葉です。

結局は
稼ぎ方じゃなくて
自分のあり方。

そして
覚悟があるかないか。

ただ
それだけなんですね。

 

 

 

私が会社員で
躁鬱
に陥っていたとき。

ちょっと前なら簡単に出来ていたことが
出来なくなって

自分にはできるはずなのに
けど、
やっぱり出来ない、、、。

なんで?

変わりたい。
どうにかしたい。

そんな状況下で
気持ちばかりが焦っていて
やる気はあるのに

でも、
やり方が
『わからない、、、。』
どうすればいいのか分かんないよ。

そんなときに出会った、
一人の男性に頂いた言葉が
今でも私の原点になっています。

『頭で考えてもね、
いい答えなんて出ないんだよ。

頭で考えて出てくるのは
過去の経験からの答えでしか出ない。

本当は自分がどうしたいのか
心に聞いてごらん。

心が行きたいと感じる方へ進む事が
一番の近道だから。』

 

 

 

《 変わるためには行動すること
頭じゃなくて心で感じる 》

そして今、
ある一人の男性との出逢いをきっかけに
【確実な一歩】を踏み出す事が出来ました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

初めまして^ ^
石之 美圭(いしの みか)です。

私は現在、

アナタの【やりたい】を実現する為に
その人にしか出せない【個性】を活かして
【魅力】を伝えるお手伝い

を行っています。
要するに
【様々な意味での集客】ですね。

どんなビジネスでも
仕事でも

それこそ恋愛でも

自分の価値を売り込むのに
魅力を発信していく事は
必要不可欠です

だってその他大勢に
【埋もれてしまうから】

まだまだ歩みだしたばかりですが、
皆様の何か一つでも
『実績』を変えるきっかけになれれば。
と考えております。

まずは、
なんでそんな風に思う自分に
【変われた】か。

石之の生い立ちから
お話させて下さい^ ^

1988年8月8日
大阪は梅田周辺の病院に
3700gの予定日より2週間以上早かったのに
ビックなベイビーとして産まれ、
都内、
23区外のとある田舎で育つ。

小さい頃から本が好き。
尊敬する漫画家(&アニメ)の影響から
絵を描くアニメーターの仕事をする、
自分の思い通りにならないと
直ぐに感情で怒ってしまう 父。

繁盛していた布団屋の
裕福な家庭で育ち
自分で産んだ息子の障害を
受け入れることができなかった 母。

予定日の3ヶ月も前に産まれてしまい、
話すことも、
立って歩くことも難しい
障害を抱えた弟の4人家族の
長女として生を受けました。

わずかに残る、
私の原点となる幼少期の記憶
ーーーーーーーーーーーーー

記憶に残るのは
いつも夜遅くに帰ってくる父と
母が夫婦ゲンカをしている姿。

原因は何かは
分かりませんでしたが
怒鳴り声と、
父親が母親の髪の毛を
引っ張ったり
物をひっくり返ったりして
大きな音がしていて

隣の部屋で弟とビクビクしながら
布団に頭までくるまっていたこと。
ほぼ、
毎晩繰り返されていた気がします。

今考えると。
母親はこの時、
既に精神的に
おかしくなり始めていたのでしょう。
私より先に19時頃に寝たり。
髪は鳥の巣のように
ボサボサな状態。

そんなある日
母は、
何も言わずに

【家を出て行きました。】

私が小学2年生での
出来事でした。

この後、
母の両親のところに療養中、
1度だけ会った後。

病院を逃げ出した
と連絡が入ったきり、
今でもどこでどうしているか、
どんな想いでいるのか

生きているかも分かりません。

今も昔も
母親に対する恨みなどは
全くありませんが、
やはり
母の作る手作りのお弁当や
一緒に
ショッピングセンターなどに
お出かけする行為には
憧れますね^ ^

善悪の区別もつかない
本能任せに生きた結果、
孤独に陥った小学生時代
ーーーーーーーーーーーーーー

幼馴染が
男の子だったこともあって
遊ぶ内容は、
木登り、水でイタズラ、崖登り、
秘密基地づくり、市内探検など
まさにワンパクな男の子
の様なことばかりしていて
逆に
女の子とお人形さん遊びなどは
刺激が足りないと感じていました。

友達の鍵を隠して
最後まで渡さなかったり
怒られると分かって水でイタズラして
おっさんが出てきたと思ったら逃げたり
雑草を混ぜで作った液体を薬とか言って
気の弱い子に飲ませたり

まさに悪ガキw

悪気がないから更にタチ悪い。
当時の私を知る人は、
かなりのおてんば娘だったと言います。

クラスでも割と人気者
前に出てしゃしゃるのが
大好きなお調子者だった私が

ある事をきっかけに

【孤独に陥りました。】

ある時、
当時流行ってた友人が
借りていたゲームを勝手に《マタ借り》
一通り遊んだ後、
友人に返すと
後日持ち主の別の友人から
ゲームの電源が入らないと
連絡が入りました。

壊したつもりはない。と、
自分が悪いと認めたくなかった
当時の素直じゃなかった私は

謝ることをせずに
友人のせいじゃないのかと、
責任転嫁し
私は悪くないと主張。
(今考えれば最低ですねw)

この事件をきっかけに
一斉に女子の間で
広まった私の悪口。

卒業後もその友人たちとの仲が
【戻ることはありませんでした。】

女の子の友達から
シカトされるようになって
引越しして近所に友達が
いなくなってしまったことも重なり、
教室でも家でも
一人で過ごす時間が多くなりました。

その頃はまさにTVが友達。
朝から晩まで
当時のケーブルテレビのアニメは
制覇していましたw

この頃から、
だんだんと自分のしてきた
【行動を】見直し、
自分に起こる事は
【全て自分に問題】があると
分かり始めました。

孤独から逃れようとしていた
中学のバスケ時代
ーーーーーーーーーーーーーー
友人のいない
新たな場所での新たなスタートで
同じクラスの子で
一番初めに声をかけてくれた
女の子が2人。

その子がバスケ部に入るという
たったそれだけの安易な理由で、
他にやってみたい事もなかったため入部。

これがまた、
苦しみに耐えぬいた3年間だった。

ほぼ毎週末都内の
別の中学へ行っては練習試合に参加。
週に6日間の練習に加え、
唯一お休みの月曜日は朝練がある。
都大会進出常連の超強豪校でした。

運動音痴だった私は
背番号も一番最後。
学年が上がるたびに入ってくる後輩に
次々に抜かされ、
年功序列の厳しかった部活ながら、
馬鹿にされている目線を感じていました。

試合の時はいつも
スコアを書いたり審判をしたり。
ボールに触れることは
ありませんでした。

家に帰っても
ストレスの溜まった親に
些細な事でも
怒鳴られる毎日。

当時の父親の
苦労の心境も考えもせず
この時の私は
本当に親が嫌いだったし、
ほとんどの時間を費やしている
バスケも上手くいかず、

自分には何にも出来ない。
必要とされない。
要らない子。
だと
考える毎日。

7階のマンションから見下ろす地面を
ここから飛んだら親は悲しんでくれるかな。
後悔してくれるかな。

本気で考えていた
どうしようもない
ネガティブ カマってちゃんでした。

部活以外の交友関係も
小学時代のトラウマから
女子のグループで群れるのが
苦手だった私は

少し孤独気味の、
周りとは少し毛色の違った子と
一緒にいる事が多かったです。

でも。
話してみると
意外と普通の子だったりするもの。
逆に
好きな事に対してこだわりのある事に対して
尊敬する点も多々。

この頃から
周りから少し変わった者に対しての
偏見は無くなり。
周りの噂などは信用しない。
自分の目で見て判断する。

むしろ
個性があった方が面白いと
感じるようになっていました。

成功体験は、
本気になる事で得られると
理解した高校受験
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当時、
私には夢がありました。
父親が嫌いと言いながら
なんだかんだ影響を受けていたのか
《声優》なりたいと考えていました。

その実現のために
専門学校に行く事を決めていた私は
専門学校でお金がかかる分、
高校は出来るだけお金のかからない、
電車賃もかけずに自転車で行ける

地元の公立高校に行こうとしていました。

頭が悪く、
成績も中の下ぐらいだった私は
模試を受けても
希望する高校のレベルまで差がある状況。

3年の夏まで全く勉強していなかった私は
合格率の低いどうしようもない状態。

それでも
当時の担任の先生に言われた
《一生に一度くらい
本気で勉強する期間があった方がいい。
今後困難があった時に、

本気になった経験、
あの時できたんだから、
今回も乗り越えられると
自信をもって思える日が必ずくる。》

そんな言葉が
私の中に刺さりました。
それからの半年間、
英語のBe動詞って『なにそれ。』
と言っていた、
どうしようもない状況下で、

無事に
志望校に合格する事ができたのです。

私の人生を変えた
マックでの7年間のアルバイト経験
ーーーーーーーーーーーーーーーー
高校生になっても、
相変わらず親とは合わず、

当時のおこずかいは月500円。
弟にもお金がかかるし、
家に余裕がない事は
ずっと分かっていましたから

自分の面倒は
自分で見れるようになりたい。と、
アルバイトが出来る年になる事を
ずっと待ち望んでいました。

小さい頃から
バザーなどで販売する事が大好きで
どうせやるなら、
忙しくて
やり甲斐がありそうな仕事がいいなと
当時の時給で
770円(相場800円〜850円程度)と
お金よりもやり甲斐をとって
ドライブスルーもある
マックでのアルバイトがスタートしました。

ここでもまた、
困難に出会います。

入社後1ヶ月は先輩やマニュアルの元、
丁寧に教えてもらいながら出来ましたが、

マクドナルドの方針変更
(メイドフォユー
→マック経験者はわかるかもです笑)
を機に辞める人続出。

まだまだペーペーの未熟者。
7時の開店から10時まで
カウンターで接客する人は私1人。
一列に並ぶお客さんの長蛇の列を
一生懸命対応しながら

困っても頼る先輩はいない状況で

・いかに
お客様にとって気持ちよく、
早くオーダーを聞き出すか

・いかに、
早く同時進行で進めるか

、いかに
スピードを変えずに
昼のピークまでの準備を
接客しながら進めるか

を、追求し続けました。

相手に気持ちよく対応する事で
答えてくれるスピードって
上がるんですw

仲間もだんだんと増え。
高校を卒業する頃には
マネージャーへの昇進の話が。

私の高校生活は
ほぼバイトに費やし、
学費を稼ぐつもりでいたので
1年半で100万貯まるほどのめり込みました。

この頃から無意識に
商売に対する面白み、
お金に対する執着が産まれ。
いかに気持ちよく買ってくれるのかの
消費者心理に
興味を持ち始めました。
(また来てくれてファンになってもらう)

好きな事に目覚めた
孤独を愛した大学生活
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いよいよ
大学受験のシーズンに。
声優を目指していた私は
専門学校の
体験を受けに出かけます。

発声練習や
授業の雰囲気

そこで感じたのは、
なんとも言えない違和感でした。

そして、
甘くない世界だという事は
知っていましたから、
自分に問いただしたのです。

『オマエにその覚悟があるのか』と。

答えは

NOでした。

小学生の頃から
なりたいと夢みていた
私の覚悟は

あまりにも不十分で。
なれたらいーなー。
程度だったのです。

やりたいものがなくなった私は
心にポッカリ穴が空いた
気持ちになりました。

私は
何になりたいんだろう。
何がやりたいんだろう、、、。

そんな時
高校に大学の説明に来ていた
とある教授に出会います。
もー話が面白くて、面白くて。

ちょうど
アルバイトで興味を持っていた
ホスピタリティーや
商売の事について学ぶというのです。

しかも
その大学のいいなと思った点は。
ほとんどの教えている教授が
元有名企業の幹部をしていて
実際の現場を
知っている方ばかりだというのです。

現場の声を汲まない
本部の言う事に従うことや
机上の空論が嫌いだった
私にはとても魅力を感じました。

やりたいことは全く見えてないけど、
どうしてもここで学びたい。

その名もサービス経営学部、
サービス経営学科
(一応大学名は伏せておきますw)
決して
有名なところではありませんでしたが、

そこしか受ける気がなかった私は
AO奨学生として入学。

ところが、
結局ここでも友人と話が合わず、
仲良くなるのは
先生方ばかりw

大好きだった学部長の
研究室に入り浸り
興味のあったものだけ
(マーケティング、ホスピタリティー)に
のめり込みました。

試験はテスト前の5分程度、
ほどんどノートを
見返すだけの試験勉強で、
全く勉強をしているつもりはないのに
いつも成績はほとんどオールS。

先生と仲良いから、
おまけしてもらったのかなw
とか、
アホな事を本気で思っていた4年間。
気づけば、
成績優秀賞を受賞して卒業していました。

ひたすら愛する商品を
売る方法を突き詰めることに捧げた
食品スーパー会社員時代
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そんな私は
やりたいことを明確に出来ないまま
就職活動をすることになります。

そこで出会ったのが
某食品スーパー。

就活を始めるまでの私は、
微塵もスーパーで働きたいだなんて
思っていませんでした。

三角巾かぶって毎日商品出すだけでしょ。
完全にバカにしてて
面白みがなさそうに感じていたのです。

でも、
そこの会長が話した
それぞれ違う地域のニーズに合わせた
品揃えをお店で決めることが出来る。
安さ、値段で勝負せず、
価値のあるものを理解してもらった上で
買ってもらう考え方。
社員一人一人に対して与える
権限の多さ。

《私たちの提供する商品の質が
その町の住民の食生活の基準を決める》

何屋になるか明確にすることが重要と、
明確な差別化を意識した
地域密着型の考え方に感動。

『スーパーって商売の中でも
一番お客さんに近いのに
心は一番遠い気がするんだよな。
なんかもったいないよなー。』
と、
薄々感じていた私の心に刺さりました。

仲良くしていた
大学の先生からのコネ話
某メガバンクへの推薦
某有名書店への推薦
私自身がエントリーもしていた
某有名コーヒー店へ
推薦してくれるという言葉を、

全て断り。
(今考えるともったいな過ぎだろ。
とも思いますがw)

自分の直感を信じて
そのスーパーを第一志望へ。

入社を決めたのでした。

そこでひたすら行ったのは
大好きな商品達が
【どうやったら】
買ってもらえるかということ。

普通に並べていたら
1日3、4個しか売れないものを
売れる商品を見極めては、
100とか150個とか発注して
1日に60、70個の販売実績を上げて
全店1位の実績を出してみたり。

いいものだと確信しているものを
継続的に試食販売し、
味を知ってもらうことで
その後の
継続的な売り上げUPに繋げたり。

買うものを決めかねている
お客さんに対しての
自分が売りたい、
知ってほしい
と思っているものを

時には商品ができた
エピソードなんかを付けたりして
徹底的に売れる商品へ
育て上げました。

時には今の冷蔵ケースの
商品の並べ方では
売り上げと利益の最大化に
ならないと感じては
夜な夜な時間を忘れて
パズルのように並べ変えて
売り上げを変えたり。

そんなことをやっていたら、
あれよあれよと昇格。
気づけは同期で
一番の大型店を任され、
等級もあがり。
毎年50万以上の単位で
年収が上がっていきました。

その反面。
やはりいい事ばかりではなく。

もともと労働時間が
長いのは承知していましたが、
仕事を楽しむために行っていた
商品の売り込みの計画や準備で
さらに時間をかけていたこともあり
毎日16時間ほど働く毎日。

この仕事は働き続けるのは
厳しいだろうなと
限界を感じていました。

さらに
タイミングよく
問題が重なったのです。

新しい会社の方針への
ベテランパートさんの反発の声。
本部からの応援も間に合わず
全く新しい取り組みに
ノウハウがない中で。
ただ、『やれ。』
との指示。

どこまで柔軟を効かせていいのかも
聞く人によって違う状況に
未熟な私は
いっぱいいっぱいになってしまいました。

結果

躁鬱に。

他店舗での取り組みを
参考にしようと車で出かけた早朝。
一瞬記憶が飛んだ後、

気付いた時にはもう遅く。
単身ながら、
乗っていた車を全損させる
交通事故を起こしてしまいました。

不幸中の幸い、
自分も他人も
傷つける事なく済みましたが、
もし誰かを引いてしまっていたら
という恐怖でさらに悪化。

体力的にも精神的にも限界を感じ、
4年間勤めた会社の退社を決意します。

このことは自分の中で
とても大きな決断でした。

この時、もう一度
《自分のやりたいことは何か》を
考えたのです。

新しい世界を知ることになった
ビジネスとの出会い
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私が今までの精神的、
スキル的に経験した事を
何か活かせる事はないだろうか。

そこで出会ったのが
《ビジネス》を自分で起こす
という考え方。

今までの自分では
絶対に無理だと思い込んでいましたし、
やりたいと考えたことも
ありませんでした。

でも、
確かにこれから自分がやりたいなと
感じていることは
会社の枠に囚われていたら
出来ないかもしれない。

そしてこの先結婚して、
子供を産んだ時あとでも
お金を産み出せる
スキルを身につけたい。

いろんな情報を集めるうちに
YouTubeで
一人の成功者と呼ばれる男性に
目がとまりました。

調べていくと、
年は私の4つ上
何やらクローズドで
たまたまお茶会を開くタイミングの様子。
ダメ元で参加させてください!と、
Messageを送り。

内心心臓バクバクで
待つこと数時間。

《いいですよ〜》と、
二つ返事でお逢いできることになりました。

まさか、
個人の事業で年収3000万を超える方に
お逢いできるなんて
嘘みたいだと思いましたが、

その日、
今までの自分から変わろうと
決意しました。

実際にお話してみると、
本当に話している内容が
凄いの一言。

まるで、
空から言葉をもらっているかのような感覚。
抽象度が高く、
原理原則を抑えた言葉ばかり。
それでいて私たちに分かるように
噛み砕いで話してくださるから
分かりやすい。

こういう次元にいらっしゃる方の
心境になってみたい。
その方に直に教わりたいと思いつつも、
あまりの違いに
自分のセルフイメージがついていかず。
当時の私は断念する事を選択。

実際にビジネスと言っても
どんなものがあるのか、
まずは知りたいと
情報収集をする日々が始まります。

会おうと思えば
どんな凄い人でも会える。
と、調子に乗った私は
とにかくいろんな人に
会いまくりました。

約半年間で
本当にいろんな方々とのご縁を頂き。
うまくいっている方とも、
いない方とも
お会いする機会に恵まれました。

なんだか自分も一緒に居るだけで
上手くいくような感覚に陥り。
まずは、チャレンジする事が大事!と
甘い考えで紹介されるものに

あっちにフラフラ
こっちにフラフラ

結局どれも身になることなく
お金だけが消えて行きました。

そこで出会ったのが
ある年下の男性との出会いでした。

活動に疲れ、
自分のしている事に
疑問を感じ始めていたタイミングでした。

きっかけはFacebook。
発信している内容が
私の興味のある
マーケティングやマインドに
関するものばかり。

そのグサグサ突き刺さる
言い回しと内容に一目惚れw

是非お逢いしたいと
会っていただく事に。

そこで聞いた
衝撃のお言葉の数々。
自分の今の行動に
グッサリご指摘のお言葉を頂き、
私の考え方が
どれほど甘い考えだったか
思い知りました。

私より年は3つも若いのに
この知識と経験
そして
オーラの違いは何だろうw

ほんっとにビジネスって
年関係ないよなって感じます。

私もその言葉を言えるような
マインドと知識を手に入れたい。

お話をしていく中で、
その方の元で
一から実業家としての道を
スタートさせる事を決意したのです。

ーーーーーーーーーーーー

本当に私は小さい頃から
人に恵まれ
沢山の方々に
ご縁とお力を頂いて生きてきました。

今度は私が
そんなきっかけを
与えられる人になりたい。

そう
強く思います。

普段沢山の方々、
又、実際にお店を持たれている
オーナーの方々に
お会いしていて思うんです。

『いっぱい魅力があるのに
知られてないなんてもったいない!

その人が普通だと思ってる
その強み。
他の人にはない魅力だって
気づかないのかな。』

って。

どんな分野でも
アナタの
自分では気づいていないことが多い
魅力を、
効果的に、
伝えていくのって

大事だと思うんです。

だって
ものが溢れた現代で
一番
人が価値を感じるのって

【その人自身 】
ですよね。

美容院だって
◯◯さんがいるからあそこに行きたい

この間行ったレストランの
対応してくれた女性の感じが良かったから
また行こう。

ってなりませんか。

アナタのその魅力
伝えてみんなに知ってもらえたら
素敵じゃないですか^ ^

でも
その伝えていく方法ってどうするの?

はい(^ ^)

そんな情報発信
行っていきます!

まだまだ私自身が力をつける
過程の段階に過ぎませんが

私のこれまでの知識と経験
を活かして
出来ることがあるんじゃないか。

誰よりも勉強し、
経験を積むことで

何か少しでも
アナタへの気づきの
きっかけになりますように。

《変わる為には行動すること
頭じゃなくて心で感じる》

長々お読みいただき有難うございます( ´ ▽ ` )ノ

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